「道」の役割
現代では、人が移動する時に電車や自動車や飛行機などのいろいろな交通機関を使います。モノを運ぶのにも、船や鉄道やトラックが使われます。そのような交通機関が無かった時代、人は「道」をたどって移動し荷物を運びました。
今ではメールや電話やチャットなどのいろいろな手段で人に情報を伝えることができますが、そのような方法が無かった時代には、伝えたいことを文書に書いて相手に届けました。人やモノだけではなく、情報を運ぶためにも「道」が使われました。
「道」の役割は、人やモノや情報が、安全・確実に行ったり来たりできるようにすることです。
人、モノ、情報が行き交う交通の主役が「道」だったのです。
「道」を整備することで、都と地方の間を人、モノ、情報がスムーズに行き来できるようになりました。都にすむ天皇が広く日本を支配することができたのは、「道」が人、モノ、情報の流れる役割を果たしたからです。
奈良時代に整備された「道」は、駅路と呼ばれました。駅路は都と地方を結ぶ道路で、役人が都と地方との間を行ったり来たりするために使われました。
駅路には、駅家という施設がおよそ16kmおきに整備されました。駅家は、駅路を使う役人が休んだり食事をするための場所です。駅路には、天皇の命令を地方に伝えたり、地方の情報を政府に伝える情報伝達ルートの役割もあります。そのために、急いで文書を運ばなければならない役人が乗るための馬も駅家に用意されていました。
神社やお寺に参拝するための巡礼の「道」もあります。
2004年にユネスコの世界遺産に登録された「熊野古道」は、熊野の神社に参拝するためにひらかれた巡礼の「道」です。
熊野古道・和歌山県那智勝浦町
1400年以上前に作られ、平安時代の貴族たちもこの「道」を通って神社にお参りしました。
熊野古道には昔の「道」の雰囲気が残っているところもあり、今でも訪れる人が絶えません。
「道」は、農産物を運搬したり、地方の特産品を都に届ける輸送ルートにもなりました。
当時は米や布などが税として徴収されていましたが、税の現物を都に届けるためにも「道」が使われました。
道は陸上だけでなく、海や湖の道もあった。陸の道での荷物の運搬は、馬や荷車をつかうけど荷車は道が雨で泥沼になると使えないことがある。馬も載せる重さには限度がある。それに比べて船はたくさんの荷物を一度に運べる。これは現代でも同じだね。どんなに飛行機が早くても、積める荷物の量は船にはとうていかなわない。
外国からの船が九州につくと、波の穏やかな瀬戸内海を通って兵庫や大阪、そして淀川の流れを遡って京都に運んでいたんだよ。