第三章 歴史の「道」を探してみよう

 

「道」の手がかりとなるのはどんなもの?

 

「道」が昔の姿をそのまま残しているところもありますが、多くの「道」は時代の移り変わりの中でその姿を変えています。
場所が移った「道」もありますし、使われずに無くなってしまった道もあります。
 
昔の「道」の形がなくなっていても、そこに「道」があったことが分かる「目印」があります。それが「道」を探す手がかりです。

「道」の手がかり

道しるべ(道標)

道しるべは、「道」がどこに向かっているかを示す道案内の標識です。
進むべき方向や距離などが書かれています。道が分かれていて迷いやすい場所や、方向を間違えそうな場所に道しるべが置かれました。
今でも残る道しるべの多くは石の柱です。
 

埼玉県幸手市 日光道中の道しるべ

 
これは日光街道とつくば街道の分岐点に置かれた道しるべで、今から250年ほど前に建てられました。
正面には「右つくば道」と刻まれています。左側の面には「左日光街道」と刻まれています。
左側の道が日光街道で、右側がつくば街道の起点だったことが分かります。

古い神社や寺院

 

熊野・那智山青岸渡寺

 
古い神社やお寺も、「道」を探す手がかりになります。
東京都国分寺市にある武蔵国分寺は、奈良時代に作られた古いお寺です。
最初に作られた武蔵国分寺は焼けおちてしまい、現在の武蔵国分寺は江戸時代に再建されたものです。
 

 

東京都国分寺市 武蔵国分寺金堂跡

 
この武蔵国分寺のすぐ近くで、幅12メートルの古代道路が490メートルにわたって発掘されました。奈良時代に整備された七道のひとつである東山道の跡です。この古代道路を真っすぐに伸ばすと、最初の武蔵国分寺があった場所を通っています。
古い神社やお寺の近くには、建設資材を運んだり参拝者が通うための「道」がありました。
 

東山道を発掘した当時のようすを再現して保存している

 

 

一里塚

 

一里塚は江戸時代の街道沿いに、約4キロメートルおきに作られた塚です。
一里塚は、「道」の両脇に土を高く盛り上げ、その上に松や榎などの木を植えて遠くから見える目印として作られました。
 
これは旅人が距離の目安にするだけではなく、馬で人や荷物を運ぶ時に運賃を計算する基準にもなりました。
多くの一里塚は取り壊されて記念碑や案内板だけが残されているだけですが、昔の形で保存されている史跡もあります。
 

 

 
これは五街道のひとつである中山道に築かれた一里塚です。左右一対の一里塚が壊されることなく保存されています。中山道は現在では国道17号線に形を変えて、一里塚の間を通っています。
 
一里塚があったことを示す記念碑が建てられているところは、すぐ横の道路が昔の「道」です。
 

本陣跡(ほんじんあと)

 

 
江戸時代に整備された街道には、宿場が置かれました。江戸と京都を結ぶ東海道には、およそ500キロメートルの間に53ヶ所の宿場がありました。
 
参勤交代の大名行列が通る街道の宿場には、大名の宿泊所である本陣が設けられました。本陣は大名専用ではなく、天皇のおつかいである勅使や公家などのための宿泊施設で、宿場の有力者や商人の家などに作られました。
 
江戸時代に本陣があった場所に、記念碑や案内板が建てられているところがあります。昔の本陣の姿を再現した施設もありますし、当時の門を史跡として残しているところもあります。
 

馬頭観音(ばとうかんのん)

 

 
馬や牛は、荷物を運ぶための大切な動物でした。
馬や牛が死ぬと、死んだ場所や埋めた場所に馬頭観音ばとうかんのんを建てて供養しました。馬頭観音が動物を救ってくれるという信仰があったからです。
 
馬頭観音が建てられているところには、牛や馬が通る「道」があったと考えられます。
 
馬頭観音にはいろいろな形があります。観音が馬にまたがっているもの、腕が4本や6本あるもの、顔が3つあるもの、頭の上に馬の頭をのせたものなど、とてもバラエティが豊かです。
正面に「馬頭観音」「馬頭観世音」という文字だけを刻んだ簡単なものもあります。

庚申塔、庚申塚(こうしんとう、こうしんづか)

 

 
庚申塔は、庚申信仰こうしんしんこうにもとづいて建てられた石塔です。
庚申塚とも呼ばれます。
庚申信仰は、江戸時代に広まった民間信仰で、60日に一度まわってくる庚申の日に寝ないで過ごして健康や長寿を祈ります。
庚申塔や庚申塚は、庶民の素朴な祈りや思いを込めて建てられました。
 

 
庚申塔と道標みちしるべがひとつになった石塔です。正面に「庚申」と書かれ、側面には「これより右、市川まで五里 これより左、吉川へ一里」と書かれています。

青面金剛(しょうめんこんごう)

 

 
青面金剛は、病気や災いを除いてくれるものとして信仰されました。
青面金剛には3つの目があり、6本の腕に武器や蛇を持っておそろしい表情で立っています。
青面金剛もさまざまな姿で描かれ、顔が3つあるものや髪の毛を逆立てたもの、邪鬼を踏みつけているもの、猿や鶏を従えたものなどがあります。
青面金剛は庚申信仰と結び付けられて信仰されたので、庚申塔こうしんとうと一体になっているものもあります。庚申塔と青面金剛が並べて置かれているところもあります。
 

 
左側が青面金剛で、右側が馬頭観音。青面金剛は顔が三つあり、馬頭観音は頭の上に馬をのせています。

鳥居とりい灯籠とうろう

神社もないのにぽつんと鳥居とりいが立っていることがあります。
この鳥居は、神社につづく参道への入り口を示すものです。
「道」の横に鳥居を建てて目印にしたのです。
同じように、石灯籠いしどうろうを目印として建てている神社もあります。
ぽつんと独立した鳥居や石灯籠が立っているところには、「道」がありました。

景勝地(けいしょうち)

景勝地とは、景色を楽しめる眺めの良い場所のことです。
このような場所は、おおぜいの人が訪れる観光地になります。
多くの人がやってくると、そこに「道」が作られます。
源頼朝は江の島に弁財天をおまつりして、戦いに勝つことを祈りました。
頼朝が建てたと伝えられる鳥居や、すばらしい景色、地元の海鮮グルメなどで、江の島は江戸時代に人気の観光地になりました。
そこで東海道から分かれて江ノ島に向かう「江の島道」が整備され、数多くの道しるべが置かれました。
 


常夜灯(じょうやとう)

「道」のかたわらで夜道を照らすのが常夜灯です。海の近くで灯台の役割を果たす常夜灯もあります。
 
港の入り口や船着き場などに建てられた常夜灯は、海上の舟にとっての大事な目印でした。
 
「道」の常夜灯は、「道」の分岐点や宿場の入り口などに建てられ、海や川を照らす常夜灯は舟に荷物を積み降ろしする場所や人が乗り降りする場所に建てられたのです。常夜灯があるところには「道」がありました。
 

広島県福山市 ともの浦に建てられた常夜灯