地域の中にある古い痕跡
これまでにあげた「道」の手がかりの他にも、「道」があったことを示す痕跡があります。
痕跡とは、そこになにかがあったことを示す形跡のことです。
今は見れなくなってしまった「道」でも、残された痕跡が手がかりになることがあります。
昔の役所の跡
奈良時代には、全国に地方役場が置かれました。国府や郡家と呼ばれる施設です。
形をとどめているところはありませんが、発掘されて史跡として整備されているところがあります。史跡であることを示す案内板が立てられているところもあります。
昔の役所があった場所には、必ず古い「道」が通っていました。
地方と都をつなぐ「道」です。「道」の形や役所の建物が無くても、そこに「道」があったことが痕跡で分かります。
下野国庁跡の発掘現場に復元された前殿と全体模型
城の跡
城跡は、文字通り昔そこに城があった跡のことです。
地図にはこんな記号で示されます。
城の石垣や堀などが残されているところもありますし、再現した建物や門が作られているところもあります。山に作られた堀や道の跡だけが残っているところもあります。
江戸城の石垣と門(清水門)
どんな城も、敵に攻められたときにその場所を守りきるためのいろいろな工夫がされています。城には武器や兵や食料を届けるための「道」が必ずありました。
埼玉県川口市 赤山城跡
古いお屋敷の跡
古いお屋敷の跡も、「道」を示す痕跡のひとつです。大きなお屋敷があったということは、そこに政治的・経済的な地域の有力者が住んでいたことを示しています。
経済的な有力者のお屋敷は、その地域で産業が成り立っていたことを示します。地域の産品や加工品を運ぶための「道」が、お屋敷の近くにありました。
政治的な有力者のお屋敷であれば、幕府や都などに通じる「道」がありました。
古い商店などがあれば、そこには多くの人通りがあって商売が成り立っていたことが推測できます。そのような場所にも「道」がありました。
古戦場(こせんじょう)の跡
古戦場というのは、合戦が行われた場所です。武将たちはいろいろなところで戦いましたが、歴史的に有名な戦いの場となった場所が古戦場と呼ばれます。
平家が滅ぼされた壇ノ浦や、織田信長が討たれた本能寺、徳川家康が全国を統一する決戦の場となった関ケ原などが有名な古戦場です。
合戦をする場所に多くの兵を進軍させるためには、「道」が必要です。途中で「道」をふさいで敵の進軍を遅らせたり、敵の背後に兵力を構えて逃げ道を無くしてしまうこともできます。
合戦と「道」は切り離せないので、古戦場の近くにはかならず歴史の「道」があります。
福島県耶麻郡猪苗代町 「母成峠の戦い」の跡
資料整理の進め方
歴史博物館・歴史資料館には、みかたになってくれる専門家がいます。専門家を訪ねて歴史の「道」について教えてもらいましょう。
専門家に質問する時には、コツがあります。
専門家に質問する前に、知りたいことや疑問に思うことを整理して書き並べてみることです。
・このあたりでも歴史的なできごととかがあったのかな?
・合戦をするところまで、どうやって行ったんだろう?
・昔の人もこの道を歩いたのかな?
・家の近くに石仏みたいなものがあるけれど、古いものなのかな?
・昔の「道」と今の道は同じ場所かな?
・大昔の地図ってどんなものかな?
・手がいっぱいある変な像があるけど、あれは何かな?
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資料のダウンロードページでは、専門家に相談するための「相談シート」をダウンロードできます。相談シートには、基本的な質問事項などをまとめてあります。
知りたいことや疑問に思うことを整理できなくても、相談シートを資料館や博物館に持って行けば、専門家にいろいろなことを教えてもらえるでしょう。
道がいくつも集まる場所がある。地方を結んでいる道が何本も集まる場所があると、そこで戦争が起きやすいといわれているんだ。戦争するのは、それぞれの地方の有力者がたくさんの兵隊を集めて勢力を広げようとするからなんだけど、その軍勢同士がぶつかるのが道の集まっている場所なんだよ。
有名な関ケ原は、北國街道、中山道、伊勢街道が集まる場所だ。いろいろな場所から軍勢が集まってくる場所で戦争が起きるのは当たり前だったわけだ。関ケ原付近の中山道は江戸時代以前の東海道とも重なっていたんだよ。