第四章 歴史の「道」を歩いてみよう

歴史の「道」をじっさいに歩いてみたいな

良い考えだね、歴史の「道」のフィールドワークだね

フィールドワークってなんですか?

じっさいにその場所に行って、昔の道だったところを歩いて見たり調べたりして体験することだよ

フィールドワーク、行ってみたいです!

 

司書・学芸員さんといっしょに調べられること

 

図書館の司書さんや資料館の学芸員さんは、調べもののプロのひとたちです。
司書さんや学芸員さんたちの力を借りて、歴史の「道」を体験してみましょう。

地域に歴史の「道」はあるのかな?

歴史の「道」は、どんな地域にもあります。参勤交代の大名行列が通ったような道でなくても、街道かいどう往還おうかんのような名前が付く道でなくても、人々の生活に欠かせない「道」や地域の歴史に関係する「道」がありました。〇〇通りのような愛称が付けられた道も、実は歴史の「道」だったかも知れません。地域のどこに古い道があったのか、探してみましょう。古い地図を探したり、郷土史や地域の歴史について調べてみると、ヒントが見つかるでしょう。
 

信濃国筑摩郡西宮村立会絵図(国土地理院古地図コレクション)

 

歴史の「道」は今も残っている?

 

時代の移り変わりの中で、古い「道」がすっかり消えてしまうことはあまりありません。昔の「道」は、いまの地面より下に埋まっていることもありますが、道筋はかわっていないことがほとんどです。もちろん道幅が広げられて舗装道路になったりして形は変わっているでしょう。
 
場所が移って形を変えて残っている「道」もあります。大きな国道に並ぶ脇道が、昔の「道」ということもあります。新しい道に生まれ変わって今も使われている「道」もあります。そのような場所には、たいてい「道」の案内板が立てられています。
 
歴史の「道」がどこにどのような形で残っているかを調べてみましょう。
 

いつ頃から、歴史の「道」は使われていた?

いつ頃から歴史の「道」は使われていたのでしょうか? これはとても難しい問題です。
 
道のはじまりは、人が住んでいる集落と集落を結ぶことによって始まったといわれています。はるか大昔に人々が往来するための道が作られていました。
それは自然にできた道で、権力者や政府が整備した「道」とは異なります。
 
「道」が使われていた証拠は、古い地図や古文書、絵画などの歴史資料の中で見つけることができるかもしれません。それでは資料の中に描かれた「道」がいつ頃から使われていたということになると、なかなかわかりません。
 
「道」を発掘して調査すると、埋まっていたものから時代が分かることもあります。「道」について書かれた歴史資料を調べると、「道」が使われていた時代をさかのぼることができます。地域の歴史資料を調べてみることはとても大切な作業です。
 

備前国図(国立博物館)

 

歴史の「道」の目じるし

歴史の「道」であることを示す目じるしには、寺社、一里塚のような道程標識、地名までの距離と方向を示す道標みちしるべ、石仏、馬頭観音ばとうかんのん古戦場跡こせんじょうあとなどさまざまなものがあります。
 
目じるしを先に見つけて「道」を探すこともできますし、「道」の証拠として目じるしを探すこともできます。
このような目じるしのことは郷土史の資料の中に書かれています。調査がされていない小さな石仏などについては、資料に書かれていないこともあります。
 

 

従是東山城国:京都と大阪の境目

歴史の「道」に関係する人物

城跡につながる「道」なら、その地域を支配した人物。
古戦場につながる「道」なら、その地域の支配を争ってそこで合戦をした人物。
寺社につながる「道」なら、その寺を開いた人物。
歴史的事件があったところなら、その事件に関係する人物など、歴史の「道」に関係する人物はいろいろとあげられます。
 
治水工事や新田開発を手掛けた人なども、歴史の「道」に関係します。
川や海の「道」を使った商人や、戦争のために「道」を歩いた武士の記録などが見つかると面白いですね。
 

紀伊国屋 文左衛門きのくにや ぶんざえもん 海路で商品を運んだとされる紀州の商人

 

「道」が果たした役割について

「道」は、地域をほかの地域と結び付けます。「道」によって、ヒトやモノや情報や文化が行ききします。「道」にはさまざまな役割があります。
 
地域の歴史や文化を特徴づける「道」の役割を調べてみるのも面白いです。歴史の中の大きなできごとと「道」の関係にも注目してみましょう。
 
戦争や商業などの特定の目的のために作られた「道」もありますが、そういう「道」もさまざまな使われ方をしています。「道」によって作られた歴史がわかれば、「道」が果たした役割もわかるでしょう。
 

 

鯖などの魚介類を小浜から京都へ運ぶ街道、通称鯖街道

コラム:場所によっては有料道路

室町時代には、京都に幕府と朝廷が両方とも置かれていたね。中国地方と京都を結ぶ西国街道は、九州、中国地方と首都だった京都を結ぶ道だからたくさんの人と物資が往来していたんだ。ところが、道沿いにいくつもの関所が設けられて通行税を徴収していて、その数がどんどん増えて人々が迷惑していた時期があったんだよ。応仁の乱が始まった頃の8代将軍足利義政は、夫人の日野富子が西国街道に何か所も関所を設けて財産をつくり、戦争で資金に困っている大名相手に高利貸しをしていたことは有名だったんだ。かわりに通行の安全が保障されるといっても、同じ道で通行税を何か所も徴収されてはたまったものじゃないね。