第一章 「道」ってどうしてできたと思う?

 

「道」のできかた、「道」の作り方

 

人が暮らす場所では、自然に道ができることがあります。
人が毎日同じ場所を通ると、安全で通りやすい場所に自然に「踏み分け道」ができます。
おおぜいの人が通る場所でも、歩きやすいところに「踏み分け道」ができます。
山の中に、動物たちが歩く「獣道けものみち」ができるのと同じです。



人の暮らしの中で踏み分け道が自然にできるのとは異なり、今の国道にあたる官道と呼ばれた「道」は、計画的に作られます。計画を立て、測量を行い、ルートを決め、おおぜいの人を集めて、長い時間を費やして工事を行い作り上げました。
奈良時代から江戸時代まで、「道」を作る工事は農民が行いました。政府が「道」の計画を作り、農民に命令を出して働かせたのです。米の収穫が終わった秋から春まで、おおぜいの農民たちが道路工事の現場で働かされました。

五幾七道(ごきしちどう)

最初に大規模な「道」が作られたのは、奈良時代です。この時代に全国は8つの地域に分けられていました。
 
畿内きないは都が置かれ、政治の中心になった場所です。地方は、東海道とうかいどう東山道とうざんどう北陸道ほくりくどう山陰道さんいんどう山陽道さんようどう西海道さいかいどう南海道なんかいどうという七つの道に分けられました。人々が集まって住んでいた村々を結ぶ自然の道を利用して作られました。



この七つの道は、都と地方を結ぶ道路の名前でもあり、地域の名前でもあったのです。東海道や北陸道のように、今日でも使われ続けている名前もありますね。

駅路(えきろ)

都と地方を結ぶために計画された「道」を、駅路えきろといいます。都から地方に行く役人は、必ず駅路を通ります。
駅路には、16kmおきに駅家うまやが置かれ、駅家には馬が置かれていました。馬は、人が高速移動するための優れた道具ですから、都から地方へ、地方から都へと文書を運ぶ役人は、できるだけ速く文書を届けるために馬を使いました。駅家では馬を乗りかえたり次の役人に文書を渡しました。
七道に整備された駅路の長さは6,300kmにも及び、400の駅家がおかれていました。
 

3つの特徴

この時代の「道」には、3つの特徴があります。
 
第一の特徴は、道幅が広いということです。現在の4車線の道路と同じくらいの幅で作られたところもあります。
第二の特徴は、真っすぐに作られたということです。途中に丘や沼があってもう回することなく、ともかく真っすぐに作られました。
第三の特徴は、側溝で道の内側と外側が分けられていることです。
現代の道路には、雨水を排水するための側溝が設けられています。この当時の側溝はそのような役割を持つものではなく、道の形を示すものでした。
 
古い「道」の跡を発掘することで、このような特徴が分かりました。
 

東山道武蔵路遺構とうさんどうむさしみちいこう・東京都国分寺市

 

古代道路の作り方

これは古代道路の発掘現場です。
「道」が真っすぐに作られていたことが分かります。道の左右の端には側溝が掘られています。2本の側溝はまっすぐな平行線になっています。
しかし、真っすぐな「道」を作るのは簡単ではありません。途中に丘があれば削って低くし、沼地があれば埋め立てて「道」を作るのですから、工事をする人は大変です。

東山道武蔵路跡とうさんどうむさしみちあと・東京都国分寺市

 
この写真の幅の広い歩道は、古代の東山道武蔵路が発掘された場所です。古代の道路遺跡を、幅の広い歩道の形で保存しています。古代の道路の幅は、12メートルもありました。

 

東山道武蔵路跡とうさんどうむさしみちあと・東京都国分寺市

現代の道路はコンクリートやアスファルトで表面を固めて、重い自動車でも通行できるようになっていますが、古代の「道」はどのように作られていたのでしょうか?

まず測量をして、「道」を作る場所を決めます。「道」にする地面を浅く掘って、砂や粘土を取り除きます。そこに固く締まる土をかぶせます。それを上から突き固めるのが基本的な工事方法です。
軟弱な地面には、小枝をしきつめたり石混じりの砂を盛る工夫をしました。
昔の人たちが、さまざまな工夫をして「道」作りをしていたことが、発掘現場から分かっています。