第一章 「道」ってどうしてできたと思う?

 

全国街道リスト

 

名称 読み方 始点 終点 距離
(km)
説明
東海道 とうかいどう 日本橋 京都 492 五街道のひとつで、徳川幕府が直轄する道。日本橋から京都三条大橋までの五十三次。
中山道 なかせんどう 日本橋 京都 526 五街道のひとつで、徳川幕府が直轄する道。日本橋から下諏訪を経て京都までの六十九次。草津で東海道と合流する。
甲州道中 こうしゅうかいどう 日本橋 下諏訪 208 五街道のひとつで、徳川幕府が直轄する道。日本橋から下諏訪までの四十三次。下諏訪で中山道と合流する。
日光街道 にっこうかいどう 日本橋 日光 142 五街道のひとつで、徳川幕府が直轄する道。日本橋から日光までの二十一次。徳川家康をまつる日光東照宮への参拝道。
奥州道中 おうしゅうかいどう 日本橋 白河 80 五街道のひとつで、徳川幕府が直轄する道。宇都宮から白河までの十七次。日本橋から宇都宮までは日光街道と重複する。
仙台松前道 せんだいまつまえどう 白河 三厩 530 白河から仙台・盛岡を通り津軽にいたる八十六次。奥州街道からさらに北へ延びる道。
水戸街道 みとかいどう 千住 水戸 116 千住から水戸までの二十次。御三家のひとつである水戸徳川家と江戸を結び、五街道にならぶ重要な道。
三国街道 みくにかいどう 高崎 寺泊 198 中山道の高崎と北陸街道の寺泊をむすぶ街道(約230km)。佐渡から金を運ぶ道で、五街道に次ぐ規模を持っていた。
北国街道 ほっこくかいどう 鳥居本 高田 131 中山道の鳥居本宿から高田宿まで。別名・善光寺道。
伊勢街道 いせかいどう 日永追分 伊勢神宮 74 東海道の日永追分から伊勢神宮まで。江戸時代には、伊勢神宮への参道として栄えた。
山陽道 さんようどう 京都 下関 570 五畿七道のひとつ。大和朝廷と九州を結ぶ幹線道路だった。
山陰道 さんいんどう 京都 下関 590 五畿七道のひとつ。京都から日本海側を通って下関に向かう。背面道(そとものみち)とも呼ばれた。
西国街道 さいごくかいどう 京都 下関 577 京都から下関まで。中世の山陽道と重なる街道で、五街道に次ぐ規模を持つ。
長崎街道 ながさきかいどう 小倉 長崎 223 小倉から長崎まで。外国との交易を行う長崎につながる道として重要視された。
北陸街道 ほくりくかいどう 関ケ原 高田 400 中山道の関ケ原と高田を結ぶ道。越前・越中・越後を結ぶ主要街道で、親不知の難所がある。
越中街道 えっちゅうかいどう 富山 高山 79 富山と高山を結ぶ街道。日本海側と内陸を結ぶ道として整備された。
千国街道 ちくにかいどう 松本 糸魚川 120 松本と日本海に面した糸魚川を結ぶ道。日本海側と内陸を結ぶ塩の道として古くから利用された。
遍路道 へんろみち 霊山寺
(一番札)
大窪寺
(八十八番札)
1100 四国八十八ケ所霊場を結んで四国を一周する道。弘法大師が修行のために歩いたと伝えられる。
豊後街道 ぶんごかいどう 熊本 鶴崎 124 現在の熊本市と大分市を結ぶ道。肥後街道とも呼ばれる。
出雲街道 いずもかいどう 姫路 松江 180 姫路と日本海に面した松江を結ぶ街道。日本海側の海産物を、内陸を通って岡山へと運ぶ道。
越後会津街道 えちごあいずかいどう 会津若松 新発田 90 会津若松と日本海に面した新発田を結ぶ道。越後の大名たちが参勤交代に使った。
羽州街道 うしゅうかいどう 桑折 青森 497 福島の桑折で奥州街道から別れて、山形、秋田を通って青森で再び奥州街道と合流する道。
宮古街道 みやこかいどう 盛岡 宮古 91 盛岡と宮古を結ぶ街道。内陸と海側を結ぶ道で、閉伊街道とも呼ばれる。
気仙道 けせんみち 仙台 釜石 150 仙台から気仙沼を通って釜石にいたる道。
秩父往還 ちちぶおうかん 熊谷 塩山 120 熊谷から秩父を通って甲府にいたる道。途中に標高2,082メートルの難所・雁坂峠がある。
房総往還 ぼうそうおうかん 船橋 館山 117 船橋と館山を結ぶ道。別名・上総道。
熊野伊勢路 くまのいせじ 伊勢神宮 熊野速玉神社 170 伊勢と熊野を結び、伊勢神宮を参拝した旅人が熊野三山に向かう道。
日向街道 ひゅうがかいどう 中津 佐土原 170 中津と佐土原を結ぶ道。九州東部の海岸沿いの重要街道。
日田往還 ひたおうかん 日田 中津 52 徳川幕府の九州支配拠点だった日田と中津を結ぶ道。このほかにも日田から延びる道は日田往還と呼ばれた。
丹後街道 たんごかいどう 敦賀 宮津 115 若狭湾を囲むようにして、敦賀と宮津を結ぶ道。
若狭街道
わかさかいどう 大原 小浜 71 若狭から京都まで海産物や塩を運んだ道。通称・鯖街道。